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小西会長

トロロ昆布のおにぎりの教え
会長エピソード
 
 トロロ昆布のおにぎりの教え
 
ありがとうの 見守隊
創始者 小西広一
(株)ミタホーム代表取締役会長
 
 
  見守りアパートは、「どなたにも幸せになって頂きたい」という小西会長の切なる願いから誕生しました。
 
  小西会長は、自分があたわったのは「ありがとうの感謝の気持のお陰だ」と言っておられ、その思想の基盤となっているのが、会長のお母様の「トロロ昆布のおにぎりの教え」です。
 
  会長が子供の頃、戦後の食糧難の時代に、乞食が家に物乞いに来たものなのだそうです。普通なら石でもぶつけて追い返すか、残飯でも食ってろ、と残り物をやるくらいなものですが、会長のお母様は、白いご飯をおにぎりにして、トロロ昆布まで巻いて持たせてあげたものなのだそうです。
 
  農家とは言え、当時、会長の家も贅沢をしていたわけではなく、自分達は塩にぎりを食べていたのに、乞食にはトロロ昆布まで巻いてやる。
 
 「どうして乞食にトロロ昆布なのよ」と子供達が文句を言うと、お母さまは「私達は幸せなんだよ」と言って戒めたのだとか。私達には家もある、家族もいる、でもこの子には何もない。私達の幸せを分けてあげる事で何倍にもなって自分達に返ってくるものなんだよ。と。
 
  お母様にそう教えられて、小西家の家訓として「ありがとうの精神」を貫いた結果、小西会長が一代でここまで築いて来れた。
 
  私はこの教えに心から感動したので、「見守りアパート」を担当させて頂く事を決意したし、また担当させて頂いた事に心から感謝しています。
 
  たとえミタホームではなくなったとしても、創始者である小西会長の思いを抜きに「見守りアパート」を運営していく事はできません。私は小西会長への感謝の波動をどこまでも繋げていきたいと思います。
 
 
 
 
全員じゃないだろ?
会長エピソード
 
全員じゃないだろ?!
 
 「そうは言っても会長、中には悪い人もいるものですよ」と私が言ったら、会長は「でも、全員じゃないだろ!」と言いました。
 
 「そりゃ、中には悪い人もいるよ。でも全員じゃない。大概の人はちゃんと払うものだ。悪い人がいたからって、次に来る人は別の人なんだから、その人も悪い人とは限らない。次の人はいい人かも知れないんだから、その人にもチャンスをあげないといけない。」
 
 例えば、生活保護の人が来て、一人目が問題を起こし、二人目も起こすと、三人目は「もう生活保護の人は受けるのをやめよう」という事になる、というのが普通の大家さんの考え方なものですが、
 
 小西会長の場合は、三人目の人は前の二人とは別の人だから、カテゴリーで決めつけて拒否するべきではないので、その人にもチャンスを与えてあげなさい、という考え方なのです。
 
  そう。確かに全員じゃない。酷い人が出て、めげる時もあったけれど、いつも会長の「全員じゃないだろ!」という言葉を思い出して、また頑張ろう、という気持ちになる事ができたものでした。
何もしない人は失敗すらしない
会長エピソード
 
何もしない人は失敗すらしない
 
  私の承諾もないのにある人は「石橋が家賃を全額払うという事で契約を締結しました」という契約書を自分一人で作成し、公正証書を作って公証人役場でハンコを押してもらった書類をもとに「オレの家賃は石橋が払うべきだ」と主張して正式に裁判所に訴えまで起こし、会長に弁護士を立ててもらったりする、という大変な事件になってしまった事がありました。
 
  私が親切にした事をアダで返されて会社に大迷惑をかけてしまい、日頃から見守りアパートを不満に思っていた人達が「それ見た事か!」と鬼の首を取ったかのような状況になって、私が完全に「もうダメだ」と思っていた時、会長からお電話を頂きました。
 
  「会長、ご迷惑をおかけしてすみません。」と私が謝ると、
 
  会長は「何もしない人は失敗すらしないんだよ。何かすれば失敗だって起こるものだ。あいつらは何もしないから失敗しないだけなんだから気にするな。問題が起きたらオレが全部解決するから、安心しろ。あんたは失敗を恐れずに前に向かって進みなさい。」と言って、全面的に私をかばってくれたのでした。
 
  絶体絶命でもう最後だ、と思っていた私は、会長のあまりにも意外な言葉がとっさに理解できず、何も言えなくなってしまったのですが、電話を切った後、「あれ?怒られると思ってたけど、会長もしかして私を応援してくれたのかな??」という事に気が付いて、改めて感動したのでした。
 
 
大変だったね
会長エピソード
 
大変だったね
 
  まだ見守りアパートを始めたばかりの頃、病院からの受け入れで、退院して来た方が、3日程で亡くなってしまいました。この方は余命が長くないので畳の上で死にたいと思っていたらしく、苦しくなったら押して助けを呼ぶボタン、というのがすぐそばにあったのに、それを押す事なく、ちょっと苦しんだだけで、満足した顔で亡くなっておられました。
 
  室内で亡くなると事故物件になってしまう、、。生活保護も申請したばかりなので、まだ審査中だから、本人が死亡してしまったら、市役所ではファイルを閉じてしまって終了となるので、一銭ももらう事が出来ない、、、。
 
  会長になんて言って謝ろう、、、。死ぬってわかっていて連れて来たのか。お金は取れないのか。事故物件になってしまったぞ。大きな損害だな、、、。色々と怒られる事を覚悟の上で、会長に電話しました。
 
  「会長すみません。連れて来たばかりの人がお部屋で亡くなってしまいました。」どんな言葉が来るか、覚悟の上で電話した私でしたが、会長は優しく「大変だったね」と言ってくれました。
 
  「身寄りもない人だし、生保もダメだろうから、どっからもお金は取れないんだろ。仕方がないよ。諦めなさい。」と、会長は怒るどころか、逆に消沈している私を慰めてくれました。
 
  そして「緊急の時に押せるボタンとかあれば良かったね。」と言うので、「それはちゃんと用意してあったんです。でも本人は、また救急車に乗って病院に行きたくなかったみたいで、畳の上で死にたかったみたくて、あったのに押さなかったんです。だから満足な顔をして亡くなっておられました。」と報告しました。
 
  「わかった。それじゃ仕方がないね」という事で納得して下さり、最後に「お祓いだけはしておきなさい」とだけ言って、一切のお咎めはありませんでした。
 
  とんでもない事になって、どうしていいかわからず、追い詰められていた私にとって、「大変だったね」という会長の優しいねぎらいの言葉は、私にとってどれだけありがたかった事でしょう。
 
  見守りアパートをやっていく自信を失いかけていた私でしたが、会長の優しい一言で立ち直った私は、一人で静かにお部屋を片付け、お祓いを手配しました。
 
  こうして当時を振り返ってみると、私に「見守りアパートをやって欲しい」と言った会長は、どんな事が起きても私をサポートしようという覚悟があった上での事だったのだなあ、という事が、今になって改めて気が付きました。
 
もう大丈夫!
会長エピソード
 
もう大丈夫!
 
  まだミタホームに入社したばかりの頃、本店で会長とお話をしているところに「生活保護を申請したいんですけど」と言って、男性のお客様が入って来ました。
 
  私は角度的に背中を向いていたので見えなかったのですが、テーブルをはさんで私の向い側に座っていた会長は、カウンターにいるそのお客様と、色々と会話をし始めました。まだお若いのにどうして生活保護になったのか、とか、家族はどうしてるのか、とか、仕事はどうなっているんだとか、随分と立ち入った事をあれこれ聞いた後、
 
 「じゃあ、どこの物件でも好きな物を選んでください。私がいいって言ったんだから大丈夫。家具付でどこにでも入って頂けますよ」と会長が言い出したのです。
 
  それまで会長の質問に緊張して答えていたその男性は「えっ?いいんですか?」と驚きの声を上げ、「ああ良かった。ありがとうございます。」と言って涙ぐんでいました。
 
 「こちらに来て座って下さい」と会長が言って、男性のために席を用意しようとした時、テーブルの向い側に座っていた私が感動してボロボロ泣いている事に気が付いた会長は「?あんたがなんで泣いてるんだ?」と言いました。
 
  確かにその人はその時に初めて会っただけで、私にはまったく関係ない人なのですが、私は感受性が極めて強いタイプなので、男性の顔は見えないまでも、お店に入店して来た時の絶望的なドヨンとした重たい波動だったものが、
 
会長との出会いによって「良かった。もう大丈夫」と希望を持った前向きの幸せの波動に店中を回す勢いでグググーンと大きく逆回りになって回転した事を肌で感じ、それがあまりにも感動的だったので、ついボロボロと泣いてしまったのでした。
 
  その人が「良かった、もう大丈夫」と思って幸せの波動を出すようになった瞬間から、その人は幸せを引き寄せる事ができるようになる。同じ人間の波動が一瞬にしてこれほどまでに逆向きに転換して勢いよく周り始める瞬間に遭遇し、震えるような感動を覚えたのです。
 
  私の隣りに座って三人で色々お話ししていたら、その方が「私には何もありません。結婚もしていないから妻もいない。」と言いました。すると会長は「えっ!あんた奥さんいないんですか。いやああ、奥さんがいないだなんて、実に羨ましいなあ。羨ましい羨ましい。」と、言い出したのです。
 
  その方を慰めるため、というよりはむしろ、なんか会長が心の底から本心を言っている感じだったので、その方も私も、ここで笑っていいものなのか?ちょっと戸惑ったのですが、堪えきれずに二人とも声をあげて大笑いをしてしまいました。笑うってとても素晴らしい特効薬で、その時私は「ああ、この人はもう大丈夫。自分で幸せを引き寄せる力を会長から授かったから。」という手応えをしっかりと感じ取る事ができました。
 
  私にとってこれは初めて遭遇した大事件でとても感激したのですが、実はこれまでにも何度も会長は、こうして色々な人を助けて来たのだそうで、私以外の賃貸の人達にとってこんな事はいつもの事で慣れっこになっていたらしく、感動するどころか「また会長の物好きが始まった」という感じで、呆れたような冷ややかな目で見ていました。
 
  その時、私は会長の人を助ける力はなんて素晴らしいんだろう、と感動し、私も会長みたいに人を助ける事ができるようになりたい、と思ったのですが、その後、私も見守りアパートの担当者になってからは、何十人もの人達から同じように「良かった、もう大丈夫」という感動の涙を見せてもらって、あの時の願いを叶う事ができました。
 
  その時から数か月後、会長が私に「見守りアパートを担当して欲しい」と言った背景には、この時、私が感動してボロボロと泣いていた事を会長が覚えておられたからなのかも知れないな、と思います。
 
  あの時の感動を会長から授けて頂いたお陰で、今の私がある。あの瞬間の感動をいつまでも忘れずに、これからも会長の思いを伝えていきたいと思います。
 
会長が神様で、私が天使
会長エピソード
 
会長が神様で、私が天使
 
   見守りアパートの仕事をしていると、「石橋さん、ありがとうありがとう」と言われて、いつも感謝されます。そんな時、私は必ず「本当に感謝するべきなのは私じゃなくて会長なんですよ。」と答えるのです。
 
   見守りアパートは確かに私が担当していましたが、私が実行できたのは、会長の「人を幸せにしたい」という思いがあったからこそなわけです。なので、入居者の方々にはいつも
 
「実行しているのは私だけど、これは会長の考えですからね。私はただの従業員ですから、私が個人的に勝手にこんな事、できるわけがない。会長がそうしなさいって言ったから、私ができるんです。
 
とは言え、会長がいくら思いがあっても、会長が自分でお世話するわけにいかないので、実行してくれる人がいないとできないし、逆に従業員の私が、会長がそんな事して欲しいとなんて思ってもいないのに、会長の意向を無視して勝手な事をするわけにもいかない。
 
つまりわかりやすい例えで言えば、会長が神様で、私が天使って感じですかね。」
 
と言っていたものでした。
 
  「ミタホームの石橋さん」から「ありがとうの見守隊の石橋さん」となった今、「じゃあ今度は、石橋さん自分自身が神様になったんじゃないの?」とか、「協力者の人達に神様になってもらえば?」とかと思われる方もおられるかも知れません。
 
  しかし神様というのは、こちらの都合に応じてコロコロと変わるべきものではありません。今では会長とお会いする機会も殆どないので、会長がどう思っておられるのか私にはわかりませんが、私としては「ミタホームじゃない石橋さん」となったからと言っても、会長への感謝の気持ちに変わりはありません。
 
  むしろ会長の従業員ではなくなった今だからこそ、「見守りアパート」は会長の思いが原点である事を忘れてはいけない、原点である会長の存在を無視して「見守りアパート」の発展はないと思っているのです。
 
  会長が、ふと入店して来た生活保護の方を助けた時、絶望的でどんどん下向きに渦を巻いていたその人の波動が、会長と出会った途端、物凄い勢いで逆流を始め、希望に満ちてどんどん上向きに上昇し、店中の波動が大きく変化したのを、肌で感じて感動した瞬間に、私も会長のように人を助ける力を授けて欲しい、と思った願いが、「見守りアパート」を担当させて頂いたお陰で叶う事ができたわけです。
 
  「どなたにも幸せになって頂きたい」という会長の思いが具現化したのが「見守りアパート」。これからも私は、会長のこの思いをつなげていきたいと思います。
  
卵が先か、鶏が先か
会長エピソード
 
卵が先か、鶏が先か
 
  生活保護を申請するためには「住所が必要」となり、大家さんから正式に「契約書」を提出する事が求められるのです。しかし、正式に住所を獲得して鍵をゲットするためには、大家さんに敷金礼金を支払ったり、保証人を立てたりする必要があるのですが、そもそもそのお金も頼れる人もいないから、生活保護を申請するのだから、そんな事は実現不可能なわけです。
 
  お金がないから生保を申請しているのに、お金を払わないと契約してもらえないから住所がない。住所がないと生保の申請ができない。卵が先か、鶏が先か。どっちか先にしないと前に進む事ができません。
 
  なので小西会長は「生活保護の申請をしたい人には、先に入居してもらって、お金は生保が通ったらでいい」という画期的な指令を出したのです。
 
  つまり「生保を申請したいんですけど~」と言ってミタホームに来た人は、お金も支払わないのに契約してもらって鍵をもらって、住まわせてもらったところを市役所の人が見に来てくれて、それでやっと申請が通って、それから数週間したら、ようやく市役所からお金が来るので、お金はその時になって初めて支払えばいい、という事なのです。
 
  「えええ!そんなのありかい?!」とビックリするような対応ですが、ミタホームでは「オレがいいって言ってるんだ、いいから通せ~!」の小西会長の一言で、そんな事が実際に行われているのです。
 
  会長はいつも「生活保護の方々は、国からお金を頂いているわけで、言うなれば准国家公務員のようなものですから、社会の底辺の人などと思って蔑むような事は一切してはいけません。うちにとっては大切な上客様ですから、丁重に扱うようにしなさい。」と言っていました。
 
  他の県ではそんな事をやっている不動産屋さんがないから、という事で、以前は別の県からバスに乗って富山駅まで来たという人を私が富山駅まで迎えてに行って受け入れた、というケースもあったくらいでした。お金がないのにバス代はどうしたのか聞いたところ、生活保護を申請したけどその市では受け入れてもらえず、以前、富山市で生活保護を受けた経験があると言ったら、じゃあ富山に行け!と言われ、その市役所が富山行きのバスのチケットをくれた。と言っていました。
 
  会長の昔を知っている人から、ずっと以前、ホームレスの人がミタホームの物件に不法侵入して勝手に住み着いた、という事態が起きた時、普通の人なら「勝手に住みやがって!何としてでも追い出せ!」と言うと思うのですが、小西会長は「おお、いいじゃないか。住んでもらわれ。」と言って追い出さず、生活保護を申請し、家賃は市役所から頂いた、という実話もあるのだという事でした。
 
  このように私が入社する何年も前から会長はこうやって生活保護の方々を受け入れていたわけですが、他の従業員達からは煙たがれていたものでした。
 
  でも人助けが大好きなキャラである私が入社してからは、単に生活保護なだけでなく、高齢だったり、身体が不自由だったり、精神病だったりと、更に普通に入居するには難易度が高い超困難ケースの方々の受け入れを対象とする「見守りアパート」を私が専属で受ける事になった、という経緯だったのでした。
 
ありがとうの重み
会長エピソード
 
ありがとうの重み
 
●初めてのボーナス
 
  入社して初めてのボーナスが出た時の事です。ボーナスは振り込みではなく、会長から現金で手渡しされる、という事で、一人づつ名前が呼ばれて、会議室に入って行きました。
 
  私は「そうか。会長は、従業員からありがとうございますって言われたいから手渡しにするんだろうな。みんなからありがとうって言われたら嬉しいもんね。」と思いながら、私の順番を待っていました。
 
  私の番になって名前を呼ばれ、会長が座っている会議室に入ると、会長から「賞与」と書いた白い封筒を手渡されました。そして私が何か言う前に、会長の方が先に深く頭を下げて「ありがとう」と言ったのです。「これって普通、ボーナスをもらった私の方がありがとうって言うんじゃない? ボーナスを渡した会長の方が、ありがとうなの??えっ?えっ?」あまりにもビックリして言葉を失ってしまった私は何も言えず、しばらく茫然と立っていました。
 
  私はてっきり会長は自分がありがとうと言われたいから手渡しにするのだと思っていたのですが、まったく逆で、会長は一人一人に自分の感謝の気持ちを伝えたいから手渡しにして、お礼を言っておられるのだ、という事がわかった瞬間、頭を殴られたような思いがし、感動体質の私は、あまりに感動したので涙がドドドドっと溢れてしまったのです。
 
  会長は私が急に泣き出したのでビックリし「どうしたんだ。何かあったのか。まあ座りなさい。話し合おう」とか言ってオロオロし「これじゃまるでオレが悪い事をして女を泣かせているみたいじゃないか、バツが悪いな」という感じの顔をしていました。
 
  私は「ありがとうと言われてビックリして、あまりにも感動したので、涙が出ました」と言いたかったのですが、胸が詰まって何も言えず、そのまま頭を下げて退出してしました。
 
 
●一人で入居者の方を抱え込んで困っていた時
 
  ある時「施設の入居者の方が入院する事になったので、連れて行って下さい」と施設長から頼まれて病院に連れて行き、一日中検査や診察で病院にいたのですが、最終的に夜になって「ベッドがないから入院できませんので連れて帰って下さい」と言われました。
 
  「えええ、そんな。今になって連れて帰れって言われても困ります」といくら言っても病院は対応できない、という事になってしまったのです。もう夜も遅いし、元の施設に戻す事も拒否されてしまっているし、重度の認知症で子供のようになってしまっているこの人をどこかに置き去るわけにもいかないし、どうしたらいいか途方に暮れた末、仕方がないので私が担当していた見守りアパートのお部屋にその方を連れて帰る事にしました。
 
  急でしたが、布団なども運び込んで何とか形になったな、と思ってホッとしたところに、会長から「どうしたんだ」と電話がありました。私は仕事柄、ピンチになる事が多くあるので、自分からはいちいち会長に電話して愚痴ったりはしないのですが、どういうわけだか私が一人でピンチになっていると、何かを察するのか、会長の方から電話をしてくれるのです。せっかくなので私も、かくかくしかじかで困ったのですが、何とかここで落ち着きました、と報告しました。
 
  すると会長は一言「ありがとう」と言いました。「え?何で会長がここでありがとうなんだ?」と、ビックリしたのですが、私がどうする事もできず困っているのを察するかのような絶妙なタイミングで電話を頂き、「ありがとう」とねぎらいの言葉をかけて頂きました。私はそれまでの「とにかく何とかしなくちゃ」と張り詰めていた思いが溶けるような温かい気持ちになって、何だかとても安心してホッとしました。
トロロ昆布のおにぎりって何?
トロロ昆布のおにぎり
 
トロロ昆布のおにぎりって何?
 
 
  私が初めてトロロ昆布のおにぎりを見たのは、初めて富山に来て東横インに泊まった次の日の朝食ビュッフェの時でした。
 
  毛むくじゃらの黒いおにぎりを初めて見た瞬間、まずそうだし汚らしいし気持ち悪いしで、「ゲ!これってカビ?」と思ったのですが、まさか東横インが堂々とカビているおにぎりを出すはずはなく、、、でもじゃあ何なのか、まったく想像もつかない。
 
  しばらくじっと眺めていたのですが、何なのかまったくわからないし、怖くてお皿に乗せて食べてみる勇気も出なかった私は、思い切って食堂のスタッフさんに聞いてみる事にしました。「これ、何ですか?」と。
 
  「トロロ昆布のおにぎりです。おいしいですよ。」
 
  「あああああ、そうなんですね。これが噂に聞くトロロ昆布のおにぎりなのね、、、。初めて見ました。富山の人はトロロ昆布をおにぎりにまくって話に聞いていたけど、本当なんですね。はい。食べてみます。」
 
  という事で、食べてみたところ、あまりしょっぱくはなく、うま味のある贅沢な味でした。富山の人は「そんな事をするのは富山だけ」という事を知らないので、トロロ昆布はおにぎりに巻くもの、と思っているのです。
 
  海苔がまいてある普通のおにぎりなら手につかないですが、トロロ昆布はベタベタと手についてしまうので、食べ終わった最後に昆布でベタベタになった手の指先をそれぞれチュッチュッと舐めて終了する、というのが富山流です。
 
  こちらはもう少し上品そうな写真  
 
 
 
  その昔、富山では「北前船」と言って、北海道から船が富山に来て、北海道の海産物とかが豊富に入って来て、そこから大阪とかに流通されたのだそうで、富山は昆布の消費量が凄まじいのだとか。
 

  富山の人はどんな料理にでも昆布を入れるのだそうで、招待された結婚式のビュッフェで、フライドポテトに切り出し昆布が混ざって出て来た時は、ビックリしたものの、あまりに超旨でやみつきとなり、ポテトばかりバクバク食べてしまいました。
 
富山に学ぶ昆布のうまみ。
富山って凄いよ!