パワーストーンヒーリング,サイケックリーディング,見守りアパート,見守隊,高齢者向け,介護施設

プロフィール

1ストーンガール
 
No.1:ザ・ストーンガール
Mme. Kumi Ishibashi Young
 
 
 
The Stone Girl. ザ・ストーンガール
 
 
私の本名は石橋久美。
 
「石」を使って「橋」渡しをする、という事で、
 
The Stone Girl ザ・ストーンガール「石女」として、
 
 
パワーストーンヒーリング&サイキックリーディング
 
エンジェルヒーリング&リーディング
 
クリスタルスカルヒーリング&リーディング
 
を行っています。
 
2見守隊・隊長
 
 
 
 
 
 No.2・ありがとうの見守隊・隊長
 
介護度がつく程ではないけれど、一人暮らしはもう難しい高齢者の方、
 
保証人がいない、生活保護、その他、色々な事情によって、普通にアパートを借りる事ができない方など、
 
既存のシステムに当てはまらない方にピッタリなのが「見守りアパート」です。
 
その方の自立度に合わせて、
 
★独居タイプ、
★ルームシェアタイプ、
★介護施設タイプ
 
の3種類があります。
 
私は見守りアパートの運営と新規入居のお世話をしています。
 
これまでに約200人近い方々をお世話して来ました。
 
「あの時、石橋さんと出会わなかったら、オレ確実に死んでたよ」という方々も何十人もおられます。
 
今では「どうする事もできない困難ケースの専門家」として、富山の福祉関係の皆様の間では私は有名になっており、
 
「石橋さんなら何とかしてくれるよ」という事で、県外からもお問合せが来る程です。
 
この仕事のため、私は不動産と介護と両方の資格を取得し、多くの経験も積みました。
 
★不動産資格:宅地建物取引士
★介護資格:実務者研修終了
★訪問介護事業所:責任者
 
また、入居者の皆様に生活を楽しんで頂くために、「笑いヨガの認定リーダー」資格も取得して、レクの担当もしました。(現在はコロナのため実施していません)
 
ありがとうの見守隊の隊長として、社会貢献をしています。
3英語の先生
 
 
No.3・英語の先生
 
長男のアレックスはフランスに住んでいますが、外国人に英語を教える先生をしています。
 
約10年近く前の事です。長男が夏休みに日本に来た時、短期アルバイトにと思って、CoCo塾の先生になろうと面接に行った際、
 
短期はダメ、という事でしたが、「代わりにお母さんは如何ですか?」とスカウトされました。
 
テストを受けて合格だったので、しばらくの間、CoCo塾の先生をやっていました。
 
その後、長男を交えたオンライン英会話教室を運営したのですが、息子はそのまま英語の先生の仕事が好きだという事で、本職にする事にしたのでした。
 
現在では、私はそんな息子の英会話教室のお手伝いをしています。
 
英語を習得したお陰で、私の人生は大きく広がりました。
 
イギリスでは就労ビザを取得して「伊勢丹ボンドストリート」に勤めていましたが、
 
子供が生まれてからは在宅で翻訳の仕事をしていました。
 
その後、社会復帰して、「英国ニュースダイジェスト」では営業統括部長をしていました。
 

 
ドイツのフランクフルトでは「エミレーツ航空」で「セールスエクゼクティブ」として、その当時あたらしく就航となった大阪路線のプロモーションのため、100人くらいのドイツ人の中で、たった一人の日本人として働いていた事もあります。
 
ドイツ語はできなかったのですが、英語と日本語ができる事と、営業力と人脈の広さのお陰で採用されたのです。
 
エミレーツ航空はドバイに本社があり、すべてのレポートは英語で提出するので、ドイツ語力よりはむしろ英語力が必須だったのです。
 
営業力のみならず、綿密な現状分析のリサーチ力と、プレゼンテーションの能力が高く評価されました。
 
英語は、大学の時に跡見学園女子大学の英文科に入って、まったくのゼロから4年間で身につけました。
 
大学の卒業論文はシェイクスピアのハムレット。教職課程も取って、中学一級、高校二級の英語教師の資格も取得しました。
 
大学当時、英語研究部(ESS)に入部し、関東大学英語会連盟(KUEL)の英語のディベートやディスカッションの大会でも数多く入賞しました。
 
特にESSでは、英語力だけではなく、現状分析のリサーチやプレゼンテーションのスキルなどを磨く事ができました。
 
ひたすら勉強をしまくった大学時代の4年間でした。
 
この大学時代の4年間が、今の私のキャリアの礎を築きました。
 
夫もイギリス人だし、24年間海外に住んでいたし、、、
 
もし大学の4年間で英語を勉強していなかったら、私の人生はまったく違うものになっていただろうと思います。
 
「英語力を身につける」という事は、「人生が激変する」という事なのだと思います。
4 My Family
 
 
 
No.4・私の家族
 
私、夫、長男、次男、末娘の5人家族です。
 
夫はイギリス人。出会ったのは日本。
私が22歳の時、新卒で入社したエー・アンド・デイという計測計量器のメーカーに、夫がいたのでした。
 
イギリスで結婚式をあげ、3人の子供達はイギリスで出産しました。
 
出産の際、母は毎回6週間づつ休みを取って、イギリスに手伝いに来てくれました。
 
その後、フランスのノルマンディーに引っ越しをし、イギリス人と日本人のハーフである子供達をフランスで育てました。
 
ノルマンディには仕事がないので、その後、私は単身赴任で、イギリスやドイツのフランクフルトで働いていたので、いつもいつも移動する生活でした。
 
今では、私と次男は富山、夫と末娘はフランスのノルマンディ、長男と嫁と孫はフランスのストラスブール近郊に住んでいます。
 
父は既に他界しているので、母は栃木に一人で住んでいます。高齢になった母の近くにいたいと思い、富山に来る事にしました。
 
フランスから栃木は遠かったので、富山と栃木が近い気がしたのですが、でも実際には車で約6時間。慣れてみると遠かった事に気がつきました。
 
弟の家族は横浜に住んでいて、長男と長女がいます。
 
夫には姉と兄がいて、イギリスに住んでおり、それぞれに子供が3人づついます。
 
私にはもともとの兄弟は弟だけでしたが、結婚によって、兄と姉と妹ができ、甥っ子も姪っ子もできました。
 
母は7人兄弟、父は5人兄弟なので、私には、叔父も叔母もいとこたちも大勢います。
 
叔父たちとも仲良しで、私がイギリスに嫁に行く時、叔父(母の弟)が、
 
「イヤになったら我慢せずにいつでも帰ってこいよ。お前ひとりくらい、俺たちでちゃんと面倒みてやれるからな」と言ってくれました。
 
両親だけでなく、叔父達や叔母達もイギリスやフランスの家に遊びに来てくれたので、家族みんなをヨーロッパ中、あちこち旅行に連れて歩いたものでした。
 
今ではコロナでヨーロッパの家族にちょくちょく会う事ができないので、早くコロナが終息してくれる事を願っています。
 
私の家族紹介でした。
5 I love TOYAMA
 
 
No.6・I love Toyama
 
富山大好き!! 
 
私は、高齢者や特殊事情の方を対象とした「見守りアパート」の他に、T-Port, Toyamaという民泊施設もやっています。T-Portというのは、
 
家を借りる程ではないけれど、ホテル住まいは何かと不便。
 
そんな方を対象に、キッチン付きの民泊施設をご提供しています。
 
もともと私は東京で生まれ、横浜で育ち、埼玉にもちょっといて、そのあと
 
イギリス、フランス、ドイツと、通算24年間海外で暮らした後、9年ほど前に富山に来ました。
 
富山に来たのは、ドイツのフランクフルトで働いていた時の上司が富山の人で、フランクフルトの会社をたたんで富山に帰ることになったのですが、
 
私のことも、富山の本社に呼んでくれたので、富山で働くことになったのです。
 
東京→横浜→埼玉→イギリス→フランス→ドイツ→富山
 
「普通、この順番で富山に来ないよね」、
 
と誰からも言われるのですが、
 
私は富山が大好きで、世界中で一番素敵なところだと思っています。
 
富山は3000メートル級の立山連峰と、1000メートル級の富山湾と、約4000メートルほどの高低差によって、
 
深層海底水が沸いて、プランクトンが多く発生し、それを食べる小魚が豊富で、その小魚を食べる魚が湾の中で回遊し、
 
豊富な食べ物を食べた大きな魚達が、まるでリゾート地で食い過ぎた私、みたいに太って脂がのった状態となる。
 
なので富山湾で水揚げされた魚はおいしいと評判なわけです。
 
立山連峰が天然の貯水庫のようになるので、富山には干ばつも殆どないし、水の質がいいのでお米もおいしい。
 
台風なども来ないし、地震も殆どありません。
 
昔から北前船という船が北海道から入って、そこから大阪の方に行くので、昆布なども豊富です。
 
山の幸、海の幸に恵まれた富山。立山連峰に守られた豊かな土地。
 
ここは神々からの恵みの豊かな素晴らしい土地だと思います。
 
私が富山で一番感動したのがスーパーで「朝獲れ」と表示された魚が夕方には「半額」シールが貼られていたこと。
 
朝、獲れた魚が昼にはスーパーに出回って、夕方には半額になる。
 
海のないドイツに住んでいた私は、あまりの事にビックリして買い漁っているのに、一緒に来た奥さんは何も買わない。
 
「奥さんは買わないんですか? 朝獲れが半額ですよ!」と私が言うと
 
「だって、明日になれば、また明日の朝獲れが売っとるもん」
 
ええええ。明日もまた、朝獲れが半額で売ってるううう。富山の人達はこんな贅沢をしているんだ、、、、
 
頭を殴られたような思いがしました。
 
富山の人は、魚や昆布をたくさん食べるから脳が発達して頭がいいんだよ。
 
そう言われれば、YKK、インテック、コーセル、ANAなど、「富山から世界へ」といった優良企業を何社も輩出している富山。
 
富山ってすごい!!!
 
富山に縁もゆかりもまったくなかった私。親戚も同級生も知人も誰もいないところから出発したのですが、今ではこうして富山に根付いて暮らしているのでした。
6 My Mother
 
 
No.6・I love my Mother!!
 
お母さん大好き!
 
しばらく栃木の母に会いに行っていたので、インターネット環境が悪く、ここのところインスタの投稿ができませんでした。
 
私の母は86歳ですが、栃木の大きなおうちに一人で住んでいます。
 
家も4LDKと大きいですが、敷地が400坪近くあるので、庭がとても広く、家庭菜園も楽しんでいます。
 
毎年、トマトやキュウリ、ナスやしいたけなど、沢山の野菜を栽培するのですが、
 
もう大変なので、今年はジャガイモだけを植えたのだとか。
 
ちょうど猛暑の時だったので、メチャメチャ大変でしたが、今回は芋ほりと、
 
母の大好きな餃子を大量に作りました。
 
母はこれを冷凍して、毎日、美味しく食べるのでした。
 
ニンニクたっぷりで完全食の餃子を食べていれば、夏バテしないと思います。
 
母がまだ若い時は、私はヨーロッパに住んでいたので、
 
母はちょくちょく遊びに来てくれたものでした。私は母を世界中、あちこち連れて歩いたものでした。
 
イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、スイス、イタリアなどのヨーロッパを始め、
 
アメリカではサンフランシスコ、ヨセミテ、ラスベガスなどにも連れて行きました。
 
旅行が好きな両親は、私抜きでも夫婦でツアーや兄弟などと一緒に、ニュージーランドやインドネシア、中国、そしてエジプトにも行ったのだそうです。
 
今では母も高齢となって飛行機に乗れないので、母にちょくちょく会いたいと思って、富山に住む事にしたのでした。
 
もし私が心臓病で心臓移植が必要だ、とかいう事になったとしたら、
 
お母さんのをあげるよ
 
と言って、私のために喜んで自分の心臓を迷わずくれるだろうな、と思うような、深い深い愛情を持った母です。
 
自分の人生をちゃんと生きてきた誇りと、海のように大きく深い愛に満ちた母。
 
歳を取ったとは言え、私の母は、愛と光で輝いています。
 
こうして元気でいてくれる事が何よりもの幸せです。
 
あと何回、こうして母と一緒に過ごす事ができるのかな。
 
いつまでも元気でいて欲しいと思います。
7 Tako Zanmai
 
 
 
 
 
No.7・TAKOZANMAI
 
私が富山に来たのは、かれこれ10年近く前の事です。
 
フランクフルトで働いていた会社の上司が富山の人で、富山に帰る事になり、私の事も富山の本社で採用してくれる事になったのでした。
 
何故かと言えば、上司はひょんな事からセネガルから8トンのタコを仕入れてしまって、売り先もなくて途方にくれてしまっていたのでした。
 
その積み上げてしまった8トンの冷凍タコを売るのを手伝って欲しい、と頼まれたので、短期のつもりで富山に来る事にしたのでした。
 
「タコを売るなら、やっぱり魚市場じゃない?」と思った私は、早起きをし、お忍びで魚市場に行ってみました。
 
魚市場には珍しいタイプの私はすぐに目立ち、「どうしてお姉ちゃんがここにいるの?」という事で声をかけられました。
 
「実は」という事で事情を説明したところ、「じゃあ専務さんを呼んであげよう」という事になって、
 
専務さんが出てきてくれたので、「タコが沢山あるので、買って下さい」とお願いしたら、何故か簡単に「いいですよ」という事になったのです。
 
「オレが一人で行った時にはダメだったのに、、、」と上司もビックリしていました。
 
その調子で「金沢にも行ってみよう」という事になり、「既に富山の魚市場で卸しているなら安心ですね。いいですよ」と簡単にOKが出ました。
 
「富山、金沢で既に卸しているなら」という事で、名古屋、大阪、奈良、京都、埼玉などの魚市場にも次々と参入し、
 
遂には魚市場の最高峰「築地」にも参入する事ができ、
 
あれよあれよという間に8トンのタコがどんどん売れてしまったのでした。
 
「こんなに簡単に売れるんだったら」と上司は上機嫌となり、新たに8トンのタコを仕入れる事になりました。
 
タコの中には傷があったりしてB品扱いになるものもあり、値段を叩かれるので、
 
魚市場に出さずに、富山に引いて、タコの小売りとタコ料理の専門店のレストラン「たこざんまい」を開店する事になり、私はシェフとしてお店を切り盛りする事になったのです。
 
たこざんまいでは、色々な企画を立ててパーティーをしたり、
 
近所のショッピングモールで週1回程、ランチを出店したり、
 
納涼祭などに呼ばれてタコ焼きの屋台を出店したり。
 
色々な交流会やサークル活動にも積極的に参加しました。
 
徹底的に集客に努力をしたので、上司以外誰も知らない富山の地で、短い間に、大勢のお客様やお友達を作る事ができました。
 
そうこうするうちに次の8トンも無くなって、次の仕入れをしようかと思っていたところ、
 
セネガルでは社会情勢が悪化してしまったために、次のタコを輸入する事ができなくなってしまったのでした。
 
楽しかった「たこざんまい」でしたが、閉店を余儀なくされました。
 
お友達もたくさんできて、富山が楽しくなってしまった私は、もうしばらく富山にいたい、と言い出して、
 
フランスに帰らずに、お友達に紹介された不動産屋さんに就職する事にしたのでした。
 
8 Traveler
 
 
 
No.8・TRAVELER
 
 
富山では、富山で生まれ育った人ではない人の事を「旅の人」と呼びます。
 
私は富山に来てまだ10年未満。
 
親戚縁者も同級生もいないとは言え、集客や交流会など、相当な努力をしたので、お友達やお客様、知り合いの数は多い方ですが、
 
富山的に私は「旅の人」です。
 
実際、私の人生は「旅の人」の名称にふさわしい生き方だったように思います。
 
今でこそ、コロナの影響で、移動する事が難しい時代になっていますが、
 
フランクフルトから富山に転勤になった後、「たこざんまい」の3年間は、「年に3回は、社費でフランスの家に帰らせてもらう」というのを条件で来たので、
 
フランスと富山の往復で、1年に6回も飛行機に乗っていました。
 
その他にも、日本中、あちこちの魚市場に新規開拓の売り込みのため出張をしていたので、最初の3年間は、富山にじっとしている時間は、とても短かったものでした。
 
あの頃、あまりに国をまたいであちこち移動していたので、ぐっすり眠った後、朝、起きた時に、自分が今日は、どの国で目が覚めたんだっけ??と、すぐには思い出せない時もあったくらいです。
 
その後に努めた不動産会社&介護施設の仕事は激務だったのですが、会長さんが海外旅行を推奨するタイプの人だったので、会社の旅行で、あちこち海外旅行に行かせてもらいました。
 
フランクフルトで働いていた頃は、フランスの家族に会いに行くために、ちょくちょく家に帰っていたので、いつもいつも電車か飛行機か車に乗ってばかりいたものでした。
 
その他にも社用で出張もあったので、アフリカのセネガルなども含めて、ヨーロッパ中を駆け回っていたものでした。
 
エミレーツ航空にいた時は、月に2回くらいのペースで夜行列車で移動していました。
 
社費でドバイに行かせてもらって贅沢な旅を経験させてもらった他に、ドイツ国内すべてが担当だったので、北はハンブルグから南はミュンヘンまで、しょっちゅう出張をしていました。
 
エミレーツの前は、イギリスで働いていたのですが、この頃はまだ子供達が小さかったので、毎週土日はフェリーに乗って6時間以上かかって往復していました。
 
土曜日の朝6時にイギリスの家を出て、8時発のフェリーに乗り、その日の夕方頃、フランスの自宅に到着。それから夕食を作って子供達に日本食を食べさせ、一晩フランスで寝たら、次の日の昼前には出発してフェリーに乗り、日曜日の夜にイギリスに戻って、それで私の週末は終わり。月曜日からは普通に勤務。
 
そんな暮らしをしていました。若かったな、、、。
 
社会復帰する前は、両親がちょくちょく遊びに来てくれたので、ヨーロッパ中を車で旅して歩いたものでした。
 
その他にも、夫が旅行好きだったので、長いホリデーを取って、あちこち旅行しまくりました。
 
私達は新婚旅行も3週間の休みを取って、ヨーロッパ中をずっと旅して歩きました。
 
なので、振り返ってみれば、行った事のある国は20ヶ国以上、都市で言えば80都市以上です。
 
#イギリス(ロンドン、サリー、ウインブルドン、ケント、オックスフォード、ケンブリッジ、ポーツマス、バーミンガム、コッツウォルズ、コンウオール、湖水地方、カンタベリー、ドーバー他)◎イギリス・島(ジャージー、ガンジー)
#スコットランド(エディンバラ、グラスゴー、ネス湖)
#ドイツ(フランクフルト、ミュンヘン、ハンブルグ、ケルン、デュッセルドルフ、ベルリン、ブレーメン、ボン、インズブルック、ハイデルベルク、ローレライ、ジークブルグ他)、
#フランス(パリ、ノルマンディー、モンサンミッシェル、カマンベール、ベルサイユ、カーン、ルオン、ル・アーブ、バイオ、ポアチエ、ボルドー、トュルーズ、ストラスブール、ラスコー洞窟他)、
#リヒテンシュタイン
#オーストリア(ザルツブルグ)、
#スイス(チューリヒ、マッターホルン)、
#モナコ
#スペイン(マドリッド、マラガ)、◎スペイン・島(カナリー諸島、ヴェニス)、
#ポルトガル(リスボン、ポルト)、
#イタリア(ミラノ、ローマ、ピサ、フィレンツェ他)、
#モルタ
#ベルギー(ブラッセル、アントワープ、ブルージュ他)、
#オランダ(アムステルダム、ロッテルダム)、
#ルクセンブルグ
#ポーランド(ポズナン)、
#トルコ(イスタンブール、カッパドキア)、
#UAE(ドバイ)、
#セネガル(ダカール)、
#スリランカ(コロンボ、キャンディー)
#アメリカ(サンフランシスコ、ロサンゼルス、ラスベガス、ヨセミテ、グランドキャニオン、レイクタホ、カリフォルニア、サンディエゴ)、◎アメリカ・島(グアム)、
#メキシコ(ティワナ)、
#中国(上海、大連)、
#韓国(ソウル)、
#フィリピン(セブ島)、
 
そんなに旅行が大好きだったわけではないのですが、たまたま
 
家族や上司が旅好きだったり、出張の多い仕事だったり、
 
などの条件が重なったため、こんな事になってしまいました。
 
今はコロナでじっとしていて、たまに栃木の母に会いに行くだけの生活が、今の私にとっては、とても幸せです。
9 KAGURA
 


 
No.9・KAGURA 
 
神楽に魅せられて
 
私が初めて神楽を見たのはミュンヘンの日本人会の夏祭りの時。
 
当時、エミレーツ航空に勤務していた私は、大蛇などを始めとする100キロを超える神楽団の荷物を、
 
「文化交流のため」という事で上司にかけあって無料にしてもらったのでした。
 
それで神楽団の方々にとても感謝されたのです。
 
初めて神楽を見た夜のお食事会で正面に座った団長さんから
 
「石橋さん、明日の講演で、稲田姫の役をなさいませんか?」
 
と言われたのです。
 
「ええええ、そんな事、できるんですかああ?」とビックリしたのですが、
 
「はあ。立ってるだけの役ですから。ちょっと練習すれば、すぐにできますよ。」と団長さん。
 
「そうなんですか。じゃあ、はい。是非お願いします。」
 
という事で、私は、初めて神楽を見た次の日には「稲田姫」の役として、舞台に立っていたのです。
 
神楽とのそんな運命的な出会いをした私は、「これは絶対に神様から与えられた私の使命だわ!!」と思い込み、
 
その日から熱狂的に神楽にのめり込んでいくのでした。
 
神楽に魅せられて。。。
10 Laughter YOGA
 


 
No.9・Laughter YOGA
 
笑いヨガ認定リーダー
 
笑いは身体に良い事は医学的に証明されています。
 
でも皆さん、「笑う」って、理由がいると思っていませんか?
 
社交辞令で、ちょっとニコニコするくらいならともかく、
 
面白いテレビを見たり、ギャグを飛ばしたり、宝くじが当たったり、、など、
 
何か面白い事や、良い事が起こらないのに、
 
声を上げてゲラゲラ笑うって、あり得ない。。。と。
 
確かに、理由なく、誰かが急に笑い出したら、ちょっと怖い気もしますよね。
 
笑いヨガの発案者であるインドのマダン・カタリヤ先生は、西洋医学の先生でしたが、奥さんがヨガの先生でした。
 
「笑い」を「ヨガの呼吸法」と組み合わせ、「笑い」を一種の体操と捉えて、とにかく笑いましょう、
 
というのが、笑いヨガです。
 
最初は数人の人達と公園で始まった笑いヨガですが、
 
今では世界中に広まり、100万人を超える人たちが笑いヨガを実践しています。
 
私は講習を受けて2日間ずっと笑い続け、認定リーダーとしての資格を取得しました。
 
普通の人はなかなか笑えないものなのだそうですが、
 
私の場合は、普段からいつも笑っている人だったので、すぐに笑い出す事が簡単にできました。
 
逆に笑い過ぎて、笑いが止まらずに、呼吸ができなくなって、呼吸困難に陥ってしまったくらい。
 
自分の好きな時に理由なく「笑い出し」、そして訓練によって、自分の意志で「笑いを止める」事ができるようになりました。
 
「あ」の笑い:アハハハ
「い」の笑い:イヒヒヒヒ
「う」の笑い:ウフフフフ
「え」の笑い:エヘヘヘヘ
「お」の笑い:オホホホホ
 
発声練習をするかのように笑う練習をし、
 
リズムに合わせて手拍子をし、踊りながら、ゲラゲラ笑う。
 
私の「笑いヨガ」は大好評で、介護施設のレクリエーション活動のひとつとして、高齢者の方々にとても喜んでいただきました。
 
「笑う門には福来る」
 
笑うのに理由はいりません。皆さんも、今日から、鏡の前や、車の運転中など、
 
頭がおかしくなっちゃったかな??と心配されないような環境を確保して、
 
口の筋肉と、お腹の筋肉が痛くなる程、毎日ドンドン積極的に笑いましょう!!
 
11 SINGING
 
 
 


 
No.11・SINGING
 
私は歌が大好きです。
 
栃木の母に会いに行く時は車で約6時間ほどかかるのですが、私は運転しながら6時間ほぼ、一人でずっと歌い続けます。
 
さらに気分がいいと、リズムを取りながら踊り出す勢いで、でっかい声で歌います。
 
歌謡曲から演歌から、文部省唱歌からオペラの歌曲まで、レパートリーが幅広い上、すべての歌詞が頭の中に入っているので、
 
歌詞を見ずに、同じ曲も歌わずに、6時間ずっと歌い続ける事ができるのが、私の特技です。
 
歌う時の音域も広く、下のレから上の上のレまで3オクターブ出るので、ソプラノからアルトまで、幅広い歌が歌えるため、
 
ひとりで男声と女声を使い分けて、ひとりデュエットを楽しんだりもします。
 
どんなに練習しても、人前に出ると緊張してしまって、100%を出し切れない、と言う人がよくいますが、
 
私の場合はその逆で、「私の歌に聞き惚れてくれているわ」という観客とのキャッチボールによって刺激され、
 
練習中には絶対に出し得なかった境地に達して、観客がいる時には、普段の300%を出す事ができる。
 
という感じになるのでした。
 
とは言え、私は特に「目立ちたい」と思っているわけではなく、
 
私が普通にしていると、声もでかいし、ゲラゲラ笑うし、とにかくうるさいみたいです。
 
ちょっと気を許して油断すると、すぐに目立ってしまうので、
 
人前ではできるだけ目立たないように気をつけて暮らしているのでした。
 
日常的に私は、歌っているか、笑っているかのどちらかな事が多いのですが、
 
これは、私を守ってくれるエンジェル達を喜ばせるには最高の行為なのだそうです。
 
どおりで私は、超絶運がいいわけです。
 
歌と笑いがエンジェル達の栄養剤。讃美歌みたいなものですね。
 
皆様も日ごろから、笑ったり、歌ったりして、エンジェルちゃん達を喜ばせてあげましょう。エンジェルちゃん達は聞いていますよ。