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つぶやき

つぶやき
 
みさちゃんのリクエストにお答えして、色々と書いてみました。
私の結婚観
神さまとの約束
 
私は若い頃から、「自分の30歳の誕生日を最初の子供と一緒に迎える」という人生の目標がありました。それと「絶対に女の子が欲しい、子供は3人欲しい」という想いもあったのです。
 
つまり29歳で第一子を出産する事になるので、そのためには28歳で結婚する必要があるわけです。
 
女性の場合、子供を産める期間というのは限られているので、万が一不妊だった場合は、治療もしないといけないから、多少の遅れをとったとしても、最悪30歳の時、第一子がお腹にいる状態というところまでが許容範囲と決めていました。
 
ミスターライトなんて待っていられない。28歳の時につきあっていた相手が運命の人だと思って、とりあえず結婚する。
 
もしいない場合は、「私、28歳で結婚しないといけないから、誰か私と結婚してくれない? 自分がダメなら誰か友人を紹介しなさいよ」と言って、大学時代の友人たちに片っ端から電話をかけまくって、候補者を探す。
 
こうやって積極的に探せば、誰かひとりくらいは「僕でお役に立てるのであれば」と名乗り出てくれる人もいるはず。という計画でした。
 
男なんて取り換えたって大差はないし、いくらでも後で取り換えがきくけど、子供を産める時期は限られているのだから、出産の方が絶対に優先されるべき。
 
とは言え、私はシングルマザーで一人で苦労をするのは嫌だったので、「あんたが父親でしょ!」と責任をなする人は絶対に確保するつもりでした。
 
そうやって、先ずは産んでしまってから、この結婚が正しかったかどうかは、後でゆっくり考える。
 
と思っていました。
 
夫とつきあい始めたのは私が22歳の時だったのですが、当時、夫は「僕は子供が欲しくない」と言ったのです。
 
私は迷わず、「あら、そう。私は絶対欲しいので、時間の無駄だから、それなら今すぐ別れましょう」とその場できっぱりと言いました。
 
すると夫はビックリして、「自分はまだ若いから心の準備ができていないだけだから、もっと年を取れば、気持ちが変わると思うので、時間をくれ」と言ったのです。
 
「ああ、それならいいけど。でもしばらくしても気が変わらないようなら、時間の無駄だから、別れるからね。悪く思わないでよね。」という事で、執行猶予付き別れ話から、夫とのお付き合いが始まったのです。
 
その後、いつまでも「僕はまだ準備ができていない」とか言うようだったら、「悪いけど私、時間切れだから、別れましょう」と言うところでしたが、
 
夫は「自分も準備ができた」という事で、私が28歳の時、夫と結婚する事にしたのでした。
 
末娘の誕生
神様との約束
 
お腹にいる時から「ナターシャ」と名付けたのに、一人目も二人目も男の子でした。
 
三人目も男の子だったとしても、私はこの子に対してがっかりな気持ちは抱かない、と決意ができた時、3人目を妊娠する事にしました。
 
三人目でやっとナターシャが来てくれて、私は最高に幸せでした。
 
子供が3人欲しい、女の子が欲しい、という私の人生最大の夢がナターシャが来てくれた事でかなってしまったのです。
 
どうしてもどうしても欲しくてもできなくて、辛い思いをしている人はたくさんいる中で、私は神様にちゃんと私のお願いを叶えて頂いた。。。。
 
だから私は、その時に神様と約束しました。
 
私は自分の夢を叶えて頂いたので、これからの人生は、「私はまだ神様に自分の夢を叶えて頂いていません」という人たちの夢を叶えるためのお手伝いをします、と。
 
その代わり、子供たちの事はどうかお守りください。
 
その後、3人の子育てに追われ、その事を私はすっかり忘れていたのですが、今思えば、私はこの約束の通りに生きていると思います。
60歳から神楽
神様との約束
 
 ドイツのミュンヘンで初めて神楽と出会って以来、神楽が大好きだったのですが、当時はzoomなどもない時代でしたので、ドイツに住んでいるのに神楽を習得するのは不可能な話でした。
 
神様からはいろいろなサインが出ていて、私が神楽をすべきである事は明らかだったのですが、ドイツでの仕事がドンドン忙しくなっていってしまい、神楽との縁をつなぐ事は極めて困難となっていったのです。
 
なので、私は神様に「60歳になったら、真剣に神楽をやります」と約束をしました。どうして60歳なのかと言えば、
 
60歳くらいになれば、ビジネスもうまく行くようになって、時間もお金も自由になっている反面、
 
60歳なら、これから神楽を頑張って練習しても、体力的にまだなんとかなる年齢だと思ったのです。
 
この事もすっかり忘れていたのですが、60歳を過ぎたあたりから、神楽の事を思い出す機会が次々と襲ってくるようになってきました。
 
やがて去年61歳で神楽団と再会し、62歳の現在、精力的に神楽をやっている状況であり、これも神様は覚えておられたのだなあ、と気が付き、この事にもビックリしています。
 
 
学歴偏重主義家庭
試練
 
私の父は「東大に行かざる者は人ならず」と豪語するような、完璧な学歴偏重主義者でした。
 
本人は東京外語しか出ていないくせに、自分の弟が東京外語を受験して落ちた後、浪人して東大に入ったので、どうやら「東京外語は、東大が受かった人が落ちた大学」という事が優越感だったようです。
 
大学受験当時、横浜に住んでいたので、私は横浜国大を目指せ、と言われ、共通一次を勉強しました。しかし、結果は思わしくなかったので、最後の最後に私立に変更したのです。
 
最初から私立の文系の3教科に絞っていた人と比較すると、共通一次で5教科7科目に分散した私は相当不利だったので、志望校は軒並み落ちました。
 
当時、英語は苦手科目だったのですが、すべり止めのため、たったひとつ冗談で英文科を受けた大学に合格してしまい、「浪人はさせない」という父の命令により、英文科に進学する事になったのです。
 
悔しかった私は「この4年間で、英文科を出ました!と堂々と言える語学力をつけてやる!」と決意し、E.S.S.(英語研究部)に入部して、気が狂ったように勉強をしまくったのです。
 
大学対抗試合などで、私が落ちた大学の人達を倒して勝ち進み、気分の良い思いをしたりして、とても充実した大学生活を送りました。
 
私の社会人としての能力の基礎は、共通一次を受けた事による幅広い知識と、大学のE.S.S.で英語力と理論的思考能力、プレゼンテーションのスキルなどを身に着けた事でした。
 
そんな充実した大学生活を送っていた私は、他の大学に落ちたお陰で、この大学に入れて本当に良かった。この大学のお陰でこんなに幸せになって、私はなんてラッキーなんだろうと思っていたのです。
 
ところが、ある日、酔っぱらった父が、「あんな三流大学になんて行っても意味がない!」と本音を漏らしたのです。
 
私がとても幸せで充実した大学生活を送っているのを見ていたのだから、父だってそう思ってくれているはずだ、と思っていたのですが、本心では満足していなかったのだという事がわかり、とてもショックでした。
 
とは言え、その時、私は「父に認められたい」という気持ちが完全に消えた事を自覚しました。
 
東大に行った人の人数なんで、人口の1%にも満たないのに、東大以外は人間ではないのであれば、私たちは殆ど人間がいない社会で生きている事になってしまうから、お父さんの言っている事はおかしい、よく考えたら、この人、馬鹿なんだわ。という事に改めて気が付いたのです。
 
そして、こんなバカなお父さんの、ちっぽけな夢(子供が東大に行く事)も叶えてあげれないで、気の毒な事をしたな、とフッと思えたのです。
 
その瞬間から、私は父の呪縛から解放され、私を評価してくれない父に対して、怒りも恨みも悲しみも何も沸かない人となったのでした。
 
 
この時、私は父を超えた自分に気がづきました。自分の価値は誰かに認めてもらう必要がない。自分が自分で自分の事を素晴らしいと知っていれば、それでいいんだ。その事に気が付いた瞬間でした。
 
 
いじめられた経験
試練
 
私は以前、会社で壮絶ないじめにあった事がありました。いくらいじめてもいじめても私が特に気にしていない様子なので、いじめがエスカレートして行って、最後にはでっち上げられた嘘により、私は会社を首になった程なのです。
 
こうした嫌がらせや虐めに対して、私自身がそんなに気にしていなかったのには、いろいろな訳があるのです。
 
1つは、手口があまりにも低俗で、呆れてしまうため、怒ったり、傷ついたりする事ができなかった事です。これって私に意地悪しようと思ってやっているんだろうな、というのはわかるのですが、あまりにもレベルが低すぎて、笑ってしまうような事が殆どでした。
 
2つ目は、された事が、私にとってはメリットである事が多かった、という事です。例えば、解雇になると、次の日から失業保険が当たるのですが、いじめに耐えられず自主退社すると、失業保険が当たるのは3ヶ月も先になってしまうのです。
 
まあ、私の場合、是非うちに来てほしい、と言ってくれる人は多く、1ヶ月未満で再就職できたお陰で私は、ハローワークから相当な額のお金が支給されたのでした。
 
3つ目は、私はいつもニコニコ親切で、感じも良く、意地悪されてもし返さないし、仕事の能力も高く、手柄を横取りされても怒らないし、みんなの嫌がる仕事も率先して茶々っとやってのけるなど、嫌う理由なんてまったくない素晴らしい人間なのですが、
 
それでも私の事が嫌いな人っているんです。なので私は「私の事が嫌いな人は邪悪」と決めているのです。つまり私の事が嫌いな人が出たら、「私が悪いからだ」と思って落ち込んだりするよりむしろ、「あ、この人、邪悪なんだ」と思うわけです。シンプルですね。
 
4つ目は、いじめてくれる人がいないと、人生がちょっと退屈みたいに感じられる事がある、という事です。最近、新しい事にどんどんチャレンジしているのは、いじめがなくなってちょっと退屈だからなのだと思います。
 
なので私自身は「私ばっかりラッキーですみません」くらいに思っているのですが、それは私自身が酷い目にあっている事に気が付かない、というのもあるようです。
神楽師養成塾の塾長
試練
 
最近、私は神楽師養成塾を立ち上げて奮闘しています。
 
朝早く起きて、倫理法人会に出席したり、講話をしたり、クラウドファンディングを立ち上げたり、自分の事を色々と文章にしてみたり。
 
神楽師養成塾はそれなりに頑張ってはいるのですが、正直なところ、私はこれによって私自身が成功したいとか、有名になりたいとか、立派に思われたい、感謝されたい、とかいった欲求がなくて、ただ淡々と、でも楽しくやっています。
 
そもそも神楽団がしっかり後継者を作ってくれていれば、私がこんな事をしなくてもよかったのですが、
 
逆に言えば、後継者がいない、という大義名分に乗っかって、自分がやりたい事をやらせてもらっている、という言い方もできるわけです。
 
私の場合、ナターシャが来てくれた事で、自分の人生は満足してしまっているわけですから、
 
それ以上の事はすべて「付録」みたいなものなのです。
 
なので「自分だけのためになら、そうまでしなくても別にいいや」という気持ちがとても強いため、努力とか挑戦とか、まったくやる気がしないのです。
 
でも、最近、気づいたのは「本当は能力があるのに、それを伸ばそうとしないと、それが停滞して、やがて腐る」という事です。
 
神楽の舞もいくつかできるようになったし、倫理法人会で講話をする事もできた。自分だけのためだったら絶対にやろうと思わない事ですが、頑張ってチャレンジすれば本当はできる能力があるのに、面倒くさいからやりたくない。
 
神楽士養成塾は、神楽団のためとか、私以外の誰かのためにやっているのかと思っていましたが、実は、私の能力が最大限までストレッチされるため、神様からプレゼントされたんだなあ、と、今では思っています。