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第4部・滝つぼ体験記

教育と私の成長
子供の教育と私の成長

子供を育てていると、「あの頃の自分」を振り返り、「子供には自分よりもっと良い人生を送って欲しい」という欲も出て来るものです。子育てを通して私自身も成長し、変化していきました。 筆:滝つぼ

 
学歴偏重主義家庭

私の父は「東大に行かざる者は人ならず」という学歴偏重主義者だったので、私は「県で最高の高校そして国立大学に行けないようなら、生きる資格はなし」と言われて育ちました。
 
私の成績が悪いと「子供が馬鹿なのはお前に似たからだ」と言って母を責める父への憎しみをエネルギー源にして「いつか父を見返してやりたい」という思いで必死に勉強した私です。

でもいくら頑張っても所詮、私が東大に入れるはずもなく、私は「父の失望」を浴びながら、滑り止めで受けた私大に入学し、そこでも悔しさをエネルギー源にしてESSに入部し、大学の4年間、徹底的に英語を勉強し、大活躍しましたが、それでも矢張り父には私を認めてもらう事はできませんでした。

いつしか私は学歴でしか人を判断する事ができない愚かな父を許す事ができるようになり、「そんなお父さんのささやかな夢を叶えてやる事ができなくて可愛そうな事をしたな」と父を気の毒にすら思えるようになりました。
 

呑気派の夫との出会い

当時は向上心と野心の塊で、リラックスしたり時間を無駄にする事に罪悪感すら感じられた私が「我が辞書に努力、忍耐、根性という文字はない」という呑気派の夫と知り合い、「人間こんな風にリラックスして生きてもいいんだ」という事を始めて知りました。

夫はイギリス人なので、夫とダラダラ過ごす時間も私にとっては英会話の時間であり、「自分の英語力が向上している」という安心感を持つ事ができたので、夫と一緒にリラックスする事も苦痛ではありませんでした。

いつしか私は「ゆとりを持った生き方」の素晴らしさを知り、自分に自信を持つ事によって、他人からの評価があまり気にならなくなって行きました。

 
教育ママゴン時代

ところが不思議なもので、自分で子供を持ってみると「子供をバイリンガルに育てたい、幼児の頃から脳に刺激を与えて英才教育をしないといけない」という焦燥感に苛まれ、私は「教育ママゴン」になってしまいました。

長男にやらせた習い事を数え上げればキリがありません。まだ幼児のうちから公文教室、タンブル・トット、ダンス、水泳、ピアノ、鈴木式バイオリン、空手、陶芸など「良い先生がいる」と聞けばどこまででも子供を連れて行き、子供のスケジュールは毎日ギッシリと詰まっていたものです。もちろん学校も近所で評判の良かった有名私立に3歳から入学させました。

お金を払っている、という焦りから、子供を毎日のようにしごいていました。子供が泣こうが嫌がろうが「子供のため」という大義名分と、「子供の学力=自分の評価」という焦燥感が私をどこまでも頑張らせ、追い詰めたのです。

いくら教えてもできるようにならないと苛々して子供が憎たらしくなってきて、声を上げたり時には子供をぶってしまう事もありました。こうして、いつの間にか気が付いてみれば、あんなに「理不尽だ」と思っていた父と私は同じ事を子供にしていたのです。


ギーギー鳥の誕生

そんな私が「教育ママゴン」に飽きてしまう要因となったのが、次男の誕生です。次男は生まれつき気性の烈しい性格で、とにかく24時間、私の身体に張り付いていなければ凄まじい声でギーギーと泣き喚くので、私は寝不足と重労働でいつも疲れていたものでした。

もし次男が初めての子供だったら、自分の子育てが原因かと落ち込んだ事だろうと思いますが、素直で穏やかな長男を育てた経験から「これもこの子の個性」と受けとめる事ができました。

そんな次男は3歳になるかならずで読み書きに興味を持ち始め、私が教えもしないのに、長男から教えてもらったとかで、いつの間にかアルファベットを全部覚えてしまいました。「もしやこの子は天才なのでは?」と私が期待したのは言うまでもありません。が、

しかしその頃には末娘も誕生していたので、私は3人の子育てに追われ、次男の英才教育なんかやっているゆとりもなく、「ほっといてもできるみたいだから、ラクで良かったわ」という事で、次男の事は手抜きをしてしまいました。

私があれ程までに全身全霊を注ぎ、手塩にかけた長男は教えても教えても、ちっともできるようにはならず、私が何もしてやらなかった次男はちょっと教えただけでもドンドンできる。

確かに子供に手をかければそれなりの効果も出るので、「親の努力=子供の成績」という方程式がある程度は成り立つのも事実ですが、最終的には本人次第、親ができる事には限度があるものなのだ、という事をこの対照的な2人の子育てを通して痛感した私でした。


ワーキングマザーとなって

フランスに来てからはフランス語ができないので宿題をみてやる事もできないし、仕事にも復帰したので、今では子育ては放任状態となっています。

そんな私も時には「うちの子供達は、こんなんでいいんだろうか?」という焦燥感に襲われる事があり、「お母さんは仕事を辞めて、これからはあなた達の教育に専念するから」と突然、宣言する事があるのですが、私が「恐怖の教育ママゴン」だった時代を覚えている長男は顔面蒼白となり、「お母さん、せっかくだから仕事は続けた方がいいと思うよ。僕たちは大丈夫だから」と、私を説得にかかります。

「お母さんはあなたの年にはもっと勉強したわよ」と言えば、「そ~。お母さんは苦労したんだねえ。」と私を慰めにかかる子供達。こんな呑気な子供達を見ていると、「フランス人達に混じって勉強しているんだから、落第さえしなきゃ、いいとするか。」と思えるようになってしまった私なのでした。
 
筆:滝つぼ
ビジネスと子育て
ビジネスと子育て
 

下にやらせる忍耐


40代というとどこの会社でも部下と上司の両方の狭間に苦しむ中間管理職になる方が多くなる世代です。一匹狼でいる事が多かった私にとって一番難しい事は「下を育てる事」。特に私の場合、「自分でやった方が早い」という事で、人に頼まず、自分で仕事を処理しちゃう、とい方法を選択する事がついつい多くなってしまいがち。


こういう方法を続けた場合、確かに目先の効率は良いですが、その代わり下が育たず、いつまでも自分がやならなければならない事になるわけです。先日、私はその事を上司から指摘され、「餃子作り」の事を思い出しました。


私の父は餃子が大好きだったので、私の家では毎週土曜日は餃子だったため、私は小さい頃から餃子を作る手伝いをしたものでした。小さい頃は上手にできなくて悔しい思いをし、お母さんみたいに早く上手に作れるようになりたいと、毎週頑張ったものでした。そして長年の努力の末、高校生になる頃には母より早く作れる程に上達しました。


同じように今では3人の子供達に手伝ってもらいながら餃子を作ります。本当は手伝ってもらわない方が早くできるので、急いでいる時などは「手伝う」と言われないようにそっと作業をするのですが、誰か一人が見つけると、僕も私もとゾロゾロ参加者が増え、ひとつ作る毎に「見て見て上手でしょう」と言う子供達の相手をしながらの作業となり、倍時間がかかってしまいます。


とは言え、何年もやるうちに今では10歳の末娘ですら、小粒ながら同じ形で均一に上手に作れるようになって来て、重宝な人材に育ってくれました。恐らく母も「手伝ってくれない方が早く終わるんだよね~」と心の中で思いながら、「上手、上手」と言って私が成長するのを辛抱強く待ってくれたのだろうと思います。
 


ビジネス と 子育て

私は29歳で一人目を出産し、39歳で仕事に復帰するまでの10年間、3人の子供達の子育てに追われながら専業主婦をしていました。ビジネスで飛躍的成長を遂げるであろう貴重な30代に私は家庭にどっぷりと埋もれていたのです。
 
あの頃の私はそれが当たり前だと思っていたし、仕事に戻りたいと思ってもいなかったので、「こんなんで私は良いのだろうか」などという焦りを感じた事もありませんでした。

しかし今思えば、あの頃、自分のすべてを子育てに投入した経験が結果的には今、私がビジネスをして行く上でも様々な側面で非常に役立っていると私は思っています。特に「人材教育」という側面においては、子育ての法則に学ぶところは多大です。
 


やる気を育てる

社員教育で最も難しく重要な事は「やる気を育てる事」だと思います。下に対して厳しくし過ぎれば萎縮するし、おだて過ぎれば付け上がり、指示が細かいと自主性が失われ、放任すれば不正に走る。何事にも「行き過ぎ」が禁物で、上手にバランスを取る事が必要なのは、ビジネスも子育ても共通するところだと思います。

先日こんな事がありました。末娘が電話で突然「お母さんは小さい時、お兄ちゃんをぶったの?」と聞くのです。「どうして?」と尋ねると「お兄ちゃんは私にピアノを教えながら、私が間違うと、昔お母さんはお兄ちゃんの事をこうやってぶったから、と言って、私の事をぶつのよ」と言いました。

長男に電話を代わってもらい話しをしたところ、「お母さんは僕の事だけを厳しく育てたけど、下の二人には甘すぎるから、代わりに僕がしごいているんだ。」という事でした。
 
そう言えば昔の私は大変厳しい母親で、長男の事は厳しく育てたのでした。それが2人目、3人目と続けざまに出産し、やがて仕事に復帰してからの子育ては殆ど放任状態。私のその変貌振りに「不公平」と長男が思うのも無理はありません。

今の私は子供達と一緒に過ごせる時間が限られているため、厳しくして嫌われるよりも、優しいお母さんでいたいので、嫌われ役はもっぱら子供達といつも一緒にいる夫に任せています。

「あなたのためを思ってきつい事を言う」というのが苦手な私は、もっぱら八方美人に徹し、いつもニコニコしているのですが、ビジネスをしていると時には必要に迫られて、きつい人にならなければならない事もあるものです。そんな時は突如として、昔の教育ママゴンに変身する私なのでした。
 
筆:滝つぼ
ドイツ企業で働く
ドイツ企業で働く
 
私はかつてフランクフルトに所在する某航空会社の「日本人マーケット担当の営業」として働いていた事があります。もちろんたった一社で働いた経験だけでドイツ企業のすべてを語る事は不可能ですが、「ドイツ企業でたった一人の日本人営業」として働いた私の個人的体験から私なりに分析した「ドイツ企業での成功のコツ」をご紹介させて頂きます。


<採用1:面接前>

私の場合、前任者と知り合いだったので、決定権を握るボスが誰なのかを教えてもらったり、後任として推薦してもらえた事などが有利でした。

以前イギリスで就職した時は、リクルート会社の紹介だったので、この時も担当者がボスに強く推薦してくれた事が大いに役立ちました。また、夫が英国人で人事の経験者だったため「立派な英語の履歴書」を作成してくれた事も効を奏したと思います。

その他、私は履歴書に添えて「何故その会社が私を採用すべきか」についての手紙も添付しました。この手紙では「3Cストラテジー」を利用して、カンパニー、カスタマー、コンペティターの3Cすべてにおいて「私が最も熟知している人間である事」を立証しました。
 

<採用2:面接では>

ある程度のポジションを狙うのであれば、面接の際には「自分がこのポジションについた暁には、こうしたビジネス展開を考えている」という「具体的なビジネスプラン」を提示する必要があると思います。

また、特に営業の場合は「既に自分のネットワークを握っている」事を立証する事も重要です。

私の場合は「ドイツにおける日本人の人口」についての統計資料や「日本市場の重要性」「ドイツ在住の日本人の習性」などを説明し、それに対する具体的なプランを提示したので、ボスも「わけのわからない日本人の事はこの人に任せておけば安心」という気持ちになったようです。

私が思うに、採用されるコツは「自分を採用する事が如何に会社にとってメリットになるか」もしくは「ボスがどれだけラクができるか」という点を強調する事。お陰で面接後、すぐに「採用」の知らせが来ました。


<入社後1:社内を把握する>

採用されてまずすべき事は「自分の会社を把握する事」です。ポジションが高ければ高い程、「即戦力」と見做され、誰からも何も指示されず、誰も何も教えてくれません。

前任者のレポートや会議の議事録、自社のカタログやパンフレットなどを片っ端から読んで、まずは自分の会社について把握する事が重要です。

わからない事は周囲を上手に利用して教えてもらい、社内の仕組みや、既存のデータなどを把握するだけでなく、誰が何を担当していて、こういう事は誰に頼むべきか、また頼み易い人を確保するなど、社内での人間関係やネットワークを掴む事などが後々の仕事に大きく影響します。


<入社後2:自分を売り込む>

いくら自主的に計画しても、最終的にはボスの承認を取らなければ実践には移せないので、多忙なボスを捕まえるため、私は「こういう事で話し合いたいので、話し合いの機会を与えて欲しい」と自分から積極的にレポートを提出し、ボスとのミーティングの申し入れをしました。

また、ドイツ人のボスは特に「数字を提出すると喜ぶ」習性にあるので、私は社内の既存のデータを私なりにアレンジし直し、「日本人市場用の分析データ」として提出したところ、ボスは大層感激してくれました。

セールスレポート等はなるべく短く簡潔に、自分が何をしたか、結果はどうだったか、そして今後の計画を提示しました。特に「如何に自分の働きによって結果が伸びたのか」については大いにアピールすべきです。

私の入社後、何故かシェアーが飛躍的に伸びてしまい、「これは偶然だ」と、私もつい本音を漏らしたところ、「お前は営業だろ。営業ならどこまでも自分の成果だと言うべきだ!」と上司に叱られました。結局「私の成功」は「私を気に入って採用したボスの成功」でもある事なのです。


<入社後3:「日本」を利用する>

私は「他のドイツ人達も日本市場について知るべきだ」と提案し、カラフルなグラフやチャートをふんだんに用いて、セールス・ミーティングで発表の機会を与えてもらいました。

日本をまったく知らないドイツ人にとっては、私を通して「日本というまったく未知の存在を教えてもらう事」になるので、「日本人はアアだコウだ」と「私にとっては当たり前の事」をペラペラ喋っているだけで「へ~なるほどね~」となり、周りを容易に感動させる事ができます。
 

<ボスが日本人の場合>

このように「出る釘は打たれる」日本社会とは違い、西洋社会では「言ったもん勝ち」的なところがあり、「待つ」とか「謙虚」とかは美徳とはされず、自分から上司に直談判して積極的に自己PRをする事が成功のカギを握ると思います。

但し、「ボスが日本人」だったり、「日本企業」である場合はドイツにあっても日本と同様に「協調性」が重視される場合も多いので要注意。

また、頑張り過ぎて「上司の上司」に気に入られたりすると、直属の上司の嫉妬を買って酷い事をされる場合もあるので、これも要注意です。


<ドイツ語を勉強する>

私は「自分はドイツ語ができるようになるとは思えないから、ドイツ語ができる人が希望と言うのなら私は面接には行かない」と言ったところ、ボスは「君のドイツ語の事は一切何も言わない」と約束してくれました。

また、私の会社では入社条件が「英語ができる事」だったので、社員全員が英語ができ、言葉に不自由する事はありませんでした。

それでも、しばらくすると周囲は、「そろそろドイツ語ができるようになる事」をやはり期待します。また、いくら英語ができても日常会話はドイツ語ですからドイツ語ができないと、普通なら社内で耳にするようなちょっとした情報なども入って来ないので、閉鎖的となり、孤立しがちとなってしまいます。

私は短い契約でしたが、長く働くなら、ドイツ語は絶対に勉強するべきだと思います。
 
 
筆:滝つぼ